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多くの側面に影響を与え、問題を提起し、対策を必要とする。これらの社会的弱者が、健常者と同様な社会的生活をおくれるように様々な施策が行われている。その一つが社会システムのバリアフリー化という考え方である。バリアとは英語で障壁とか障害という意味で、バリアフリーとは社会生活を営むうえで障害物のない施設や道具・機器類の物理的環境の状態をいう。
このような現状に鑑みて、国や地方自治体でも都市における施設や制度などの整備を進めてきており、バリアフリーを念頭に置いた福祉施設の充足を図りつつある。すなわち、社会のバリアフリー化は、公共施設や住宅において進展してきており、移動障害者でも移動しやすい段差のないアクセス、スロープなどを配備した施設が増えてきている。また、公共交通機関でもステップレスのバスなどが運行するようになってきている。しかし、砂浜や海岸、あるいは海洋性レクリエーション拠点では、所謂、バリア(障壁)ばかりで、社会的弱者が安全に自由にアクセスしたり娯楽行動を楽しむことはできないのが現状である。それは海岸や海洋性レクリエーション施設に止まらず、河川や湖沼、ダムなどの土木・建築施設には殆どバリアフリーの概念が欠けているからであろう。
2. ユニバーサル社会へ向けての国際的動向
障害者が社会的問題として注目されたのは第1次世界大戦以降からである。それ以前は生活不能貧民として、遺棄や殺害によって社会共同体から排除されてきた歴史がある。中世西洋社会においてもこのような態度は基本的に継承されてていたが、他方において、宗教的動機や慈恵的配慮から救済の対象とされた時代もあった。
19世紀資本主義の社会において障害者は、まず労働能力に欠ける無能貧民の一部として登場してきた。このような障害者のとらえ方は、資本主義の生成期から発展期にかけての産業革命先進国一般に見られる現象であった。この背景にはC.ダーウィンの社会進化論や優生思想と結び付いた社会淘汰の対象として位置付けられていた。これは同時に帝国主義の根拠ともなる思想である。
しかし、そうした障害者に対する関心のあり方も、第2次世界大戦後には多くの資本主義国が、所謂、福祉国家政策を導入する過程で、少しずつ積極的なものに転換して行くことになるが、そこには共通して次のような諸要因があった。第1に重化学工業の発展に伴う労働災害の増加、第2に相次ぐ戦争による傷病兵や傷病市民の増加、第3に科学技術の発展による薬害や廃棄物のなどによる人命への影響増加によって、各国とも身体障害者が急激に増加し、その生活維持や社会復帰の問題が社会問題化したことである。これらを背景としながら、障害者に限らず国民は皆等しく最低限度の生活を維持する権利、すなわち生存権をもち、国はこれを保証する義務を負うという考え方が社会に共通して受け入れられるようになった。
1976年12月第31回国連総会において、障害者対策の活動が十分に効果を上げていないという認識に基づき、81年を「国際障害者年」とすることを議決した。この国際障害者年は障害者福祉の領域に新たな、そして従来の施策の在り方に大きな反省を促すような理念を提起した。それはノーマライゼーション:Normalizationとインテグレーション:Integrationという思想である。ノーマライゼーションとは障害者を社会から隔離することなく、ともに平等な人格として生きる社会を目指す理念である。また、インテグレーションとはノーマライゼーションの道程として伝統的施設や制度の在り方を改め、障害者を社会の一員として「統合」していく方途を探るということである。
90年代中頃になると、情報化社会を背景としてユニバーサル社会:Universal Society という新たな概念がアメリカ合衆国副大統領ゴアによって提唱された。ユニバーサルとは、総ての人々の人権を尊重して誰もが何時でも自由意志の下に社会参加できる状態のことをいう概念で、ノーマライゼーションとインテグレーションを常態化した社会整備の思想である。
2−1 日本の現状
我が国の最初の障害者福祉法が制定されたのは1949年である。その後、1967年に一部改定され、1970年には心身障害者対策の総合的推進を図ることを目的に、その基本を定める心身障害者対策基本法が制定され、ここ

 

 

 

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